平和の種が蒔かれた
『それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木が実を結び、地が産物を出し、天が露を滴らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを受け継がせる。(ゼカリヤ8:12新改訳2017)』
争いの中、希望を見ることができない民に、語られたコトバです。
「平安の種が蒔かれ…この民の残りの者に、これらすべてを受け継がせる。」
すでに、平安の種が蒔かれているというのです。
争いの中にいても、争いの噂を聞いても、すでに平安の種は蒔かれているのです。
それを希望の根拠として、平安の先取りをしたいですね。
それから、ほとんどの民が滅ぼされたように見えても、創造主である神は、「この民の残りの者」を確保しているというのです。
人間の視点では発見できなくても、そして、サタンの手が届かないところに、残りの者がいるのですね。
信仰者は、周囲を見回しても、同じ信仰を持っている人を見つけられない時もありますが、この地球上のどこかに、「残りの者」がいるのですから、孤独感で失望することはないのです。
イエス・キリストをメシアと信じる信仰者の希望の根拠は、平和の種であり、共同相続者としての民(仲間)が備えられていると言うことですね。
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