主の日

『 ◆主の日
見よ、その日が来る、炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者は、すべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように、躍り出て跳び回る。わたしが備えているその日に、あなたたちは神に逆らう者を踏みつける。彼らは足の下で灰になる、と万軍の主は言われる。わが僕モーセの教えを思い起こせ。わたしは彼に、全イスラエルのため、ホレブで掟と定めを命じておいた。見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって、この地を撃つことがないように。マラキ3:19-24新共同訳』

義の太陽に包まれるグループとわらのように燃やされ根も枝も残されないグループに分けられる日が予告されています。

その差は、創造主である神を敬うか、逆らうかです。

ノアの洪水のように、ソドムとゴモラのように、創造主である神のタイミングで、その日が到来するのです。

残されて義の太陽に包まれるための条件は、「わが名を畏れ敬う」ことですから、決して難しい訳ではないのですね。

被造物だと認識していて、創造主の存在を認めていれば、感謝もできるでしょうし、逆らうことにはならないと考えます。

「主の日」がいつ来ても良いようにしておくのが大切ですね。