怒りの日、さばきの日

『彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。
地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」(ヨハネ黙示録6:10-17新改訳2017)』

迫害を受けて殺された聖徒の叫びと、その時が迫った地上の支配者とその従者たちという構図ですね。

さばきの日が迫ってきたと感じた人たちは、洞穴と山の岩間に身を隠して、「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」と叫ぶというのです。

それほどまでに、「神と子羊の御怒りの、大いなる日」を恐ろしく感じているのですね。

岩の下敷きになる方がまだ良いと考えるほどですから、見つかって、白日の下にさらされることを余程恐れているのでしょうかね?

今の汚職が疑われている政治家を思い浮かべてしまいますね。

「自分は間違っている資料は(廃棄して)ないのだから、間違ってはいない。」などといっている人が多いですからね。

法治国家であれば、三権分立や司直に期待するのでしょうね。

また、信仰者は自ら復習せずに創造主である神に怒りを任せる訳ですから、この世にいる無力な人間としては「水戸黄門」を見ていくらか溜飲が下がれば良いのですがね。

このあたりが水戸黄門の再放送が愛されている理由かもしれないですね。