とんでもない、そんなことが起こるはずがない

『そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」
しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:21-23新改訳2017)』

人間の都合は、「そんなこと起きて欲しくない」という気持ちが大きいですね。

人知を越えた自然災害なども、それによって理不尽だと感じる被害に遭う人もいます。

そのような理不尽を体験や、間も当たりにしたくないという気持ちが強ければ、「そんなこと起きて欲しくない」と言ってしまうのでしょうね。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──【主】のことば──(イザヤ55:8新改訳2017)」

と、ありますから、人には及ばない、創造主である神の理由があるのだろうと、気持ちの整理をするのですが、スッキリしないことも多くなってきましたね。

ペテロが、否定したかったのは、イエス・キリストの死です。

弟子達は、イエス・キリストと共に生きていたから、自分たちを保てていたという要素が大きいかも知れません。

イエス・キリストが殺されるとなると、それが崩れてしまうということでしょうか。

でも、それは、サタンの思いがペテロの口を通じて出てきたとイエス・キリストは指摘しています。

サタンにとっては、「原福音」の成就だけは絶対に避けないと、自分の運命が定まってしまうのですから必死な訳です。

創造主である神のプランは、様々な人の思いやサタンの妨害を交えながら、最善最適なタイミングで成就されるのですね。