心の平安の根拠は?

『穏やかな心は、からだのいのち。ねたみは骨をむしばむ。弱い者を虐げる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。(箴言14:30-31新改訳2017)』

『顔が、水に映る顔と同じであるように、人の心は、その人に映る。(箴言27:19)』

世界の人口の大半は、世の中が平和であって欲しいと願っていると思います。

一方、人の命より、自分の勢力の維持拡大を狙う人達もいます。残念なことです。

心の平安は個人個人のテーマですので、世の中が乱世であっても成立するのです。

大切なのは、その心の平安の根拠です。

ここで、紹介している信仰者とは、唯一のメシアである主イエス・キリストの十字架による贖いを信じて受け入れている人であると紹介しています。

信仰者にとっての心の平安の根拠は、ここなのです。

しかし、日常の中で、自分が優越している要素を見ての平安を無意識に感じている時もあります。

つまり、自分と比較しての弱者を見ての平安です。

これは、表面上のモノで、いわば砂上の楼閣のようなモノなのですね。

そして、弱者を見ての平安は、次々と弱者を作り出す連鎖に発展していくのです。

「人の心は、その人に映る」と出ているのは、根拠が希薄なところが露呈してしまうということなのですね。

心の平安を実感している時に、その根拠も確認する必要がありますね。