満ち足りる心を伴った敬虔

『しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。(1テモテ6:6-10)』

前回の続きの箇所です。

ここからは、打って変わって「満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道」と記されています。

この対象は、「永遠の富」と「日々の糧」に対することと考えると身近なテーマになりますね。

人は誰でも、裸で生まれて、肉体さえ置いて去っていきます。

せめて、持って行けるのは「満ち足りる心」くらいなのかも知れませんね。

永遠の富についてですが、信仰者は、イエス・キリストと共に共同相続人ですから、もれなく備えられているのですね。

「日々の糧」についてですが、「衣食があれば、それで満足すべきです。」と記されています。

衣食でどこまでを求めるかですね。

高級ブランドを着て、世界の三大珍味を常食してなどとは記されていませんね。

健康を維持するための食事と寒さや暑さをしのぐための衣服などで、「満足する心」が大切なのだと考えています。

充足感を感じることと、創造主である神に感謝する心、創造主である神を認めて敬虔に生活できることなどが、重要なポイントなのですね。