三つの誘惑

『それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。(マタイ4:1-11新改訳2017)』

かつて、約2000年前、肉体に宿ったイエス・キリストは、悪魔(サタン)に試みられた。

一つ目は、「石をパンに変えて見ろ」、二つ目は、「神殿の屋根の端から飛びおりろ」、そして、三つ目は「ひれ伏して拝むなら栄華を与えよう」という内容です。

イエス・キリストは神の権威に基づき、悪魔の誘惑をはねのけて勝利されました。

人間には、この三種類の誘惑が生涯ついて回ります。

権力を求めること、人の歓心を買うこと、自分の能力を示すことです。

かつて、エデンの園で、エバとアダムが誘惑されたのと同様、今の私たちも揺さぶられているのです。

『すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。(1ヨハネ2:16-17新改訳2017)』

肉体的生命では、社会生活をすること、経済的手段が必要なこと、それぞれのチャレンジをすることなどがテーマとしてありますから、「蛇のごとく賢く、ハトのごとく素直に」適切な判断をしたいですね。

H・ナウエンは、ノートルダム、イエール、ハーバードなどの教授職を得ながら、自分の内面が次第に枯渇していく体験をして、上り詰めてきた方向を転換し、階段を降りていく生き方に移行したとのことです。

「執着心を超えて生きること」を示しているようにも受け取られているが、神の権威の下に身を置き、それ以外の支配から抜け出すことの示唆のようにも感じます。

参考文献:暴力と人間p70-74