待ち焦がれて病むケースもある
『待ち続けるだけでは心が病む。かなえられた望みは命の木。(箴言13:12新共同訳)』
この翻訳だけを見ると、受動的姿勢なのかな?と考えてしまいますが、他の翻訳の『望みを得ることが長びくとき(口)』や『期待が長引くと(新改訳2017)』を合わせて読むと、「自分の期待している望みがなかなか実現しない時に」、という状況が浮かび上がります。
願いが叶うと、気分は高揚し、スッキリもします。
と、同時に、「不安」や「これでいいのか?」という思いももたげてくるのですが、これは、棚に上げておきます。
祈っているのに、その願いがなかなか実現しないという体験は、ほとんどの人が日常で味わっていることでしょうね。
大原則として、物事は、創造主である神の時間軸で動いていますから、「神の時」に成るのですね。
人間の期待も含めての時間軸と、創造主の時間軸には、ギャップがあるのですね。
色々な祈り方はあるでしょう。
A「○○して下さい。私には、どうしても必要なのです。」
B「○○して下さったことを信じて感謝します。」
C「必ず、主の御心が成ることを信じます。今、私ができるコトを示して下さい。」
以前は、Aでしたが、今は、Cのパターンです。
主権を譲ることで、気楽になれましたね。今、できるコトに集中できますからね。
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