人の本分
『すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも 一切の業を、隠れたこともすべて 裁きの座に引き出されるであろう。(コヘレトの言葉12:13-14)』
新共同訳でいうと「コヘレトの言葉」他の翻訳では、「伝道の書」などとして、ソロモンの言葉をまとめてある巻の締めくくりの言葉です。
「人間のすべて」と表現されるのは、口語訳や文語訳などでは「人の本分」と記されています。
これは、『自らに課せられた義務や責務を終えること(weblio)』を表していて、同義語で分かりやすいのは「自らの使命を果たす 」ということでしょうね。
創造主である神と被造物である人の間には、立場に違いがあります。
創造主である神の保護下に入ると言うことは安全を意味します。
それでも、肉体的生命の世界では、常に、リスクにさらされますが、その中で、それぞれに与えられた使命に生きるのが、「人間の生きる道」なのですね。
創造主である神の存在を意識して認めて生きるのは、信仰者の基本姿勢です。
『神は、善をも悪をも 一切の業を、隠れたこともすべて 裁きの座に引き出されるであろう。』とあるのは、創造主である神の神である所以です
「神のみぞ知る」というフレーズをよく言いますが、何でもお見通しなのは、神のみなのですね。
注目したいのは、哀れみ深い神は人間の救いを備えて、猶予期間を設けているということです。
そして、洗いざらい出すのは、その後のさばきの時なのですね。
今は「恵みの時代」と言われる猶予期間です。今がチャンスなのですね。
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