人間は、いくつになっても、未熟な領域がある
「生きている限り、人は成長できる」とか「いくつになっても筋肉は鍛えられる」などと言われます。
肉体的生命に宿っている人間は、当然、完全・完璧なものでは無いようですね。
逆に言うと、欠点を探せば、キリが無いほどです。
肯定的に言うと、「成長の余地はまだまだある」ということですね。
「怒り」について、時々、書くことがあるのですが、これには、表現の成熟度が計られているようにも考えています。
「あの人は、○○があるとすぐ拗ねる」とか、「えー、こんなことで?」と周囲が感じてしまうようなこともありますね。
一方、我慢強い、忍耐強い、決して「辛い」と口に出さない人もいます。
表現と言うことに関して言えば、何らかの言葉などで、一次感情を出し、自分で認識すると、影響は最小限で済むのですね。
しかし、それが、鬱積し、堆積していくと、自分のためにも、周囲のためにも、リスク要因になります。ある瞬間に堰を切ったように「怒りの泉があふれ出す」ことになりかねないからです。
DVをするクセがある人は、成長の余地があるのだと考えています。人との関わりで、受容されて成長するのが一つの方法なのですが、規範を持った相手との関わり(カウンセリングなど)を持って、自分の振る舞いの習慣を自己認識できる機会が大切なきっかけになるように考えます。
習慣化することも大切なのですが、時には、習慣を棚卸しして、習慣を改善していくことも人生には、大切なのですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません