今ココに必要なのは日々の守り、そして、やがての希望
節目節目では、自分の人生の中で、どうしてあの時はあの決断をしたのだろう?と考えてみることも必要な時があります。でも、別な決断をしていたなら、今の自分はなかったのですから、まず、その事実を受け入れることが大切ですね。
今ココがあるのは、過去の自分の歩みがあったからです。
そして、今がどのような状況であろうと、信仰者には「主の御手が置かれていて、豊かな守りの内にある」ということを感謝できると言うことです。自分で、調子がいいと感じても、今イチ調子が悪いと感じていても、今日も生かされているという事実が大切です。
世の終わりまで共にいて下さる、主イエス・キリストを見上げて歩んでいるのですから大丈夫なのですね。
人間には、将来のことはわかりません。
ですので、不安になり、占いなどのあらゆる手段で、知りたくなってしまうのです。
しかし、そんな手段は必要ないのですね。
信仰者の特権は「やがての希望」があるのですから。
やがてというのは、人間は、いつの日にかこの地上の肉体的生命を終える時が来るのです。
それは、誰にでも例外なく100%訪れるのです。
信仰者は、その後、天へと引き上げられるのですね。
肉体を脱いで、天に召し上げられるパターンや主イエス・キリストの携挙の時にそのまま引き上げられるパターンがあります。
やがて、輝く天国へと引っ越しができるのです。それが、信仰者の「やがての希望」なのですね。
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