神は愛である

『 私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。(Ⅰヨハネ4:16新改訳2017)』

『神は愛です』 教会学校の子どもクラスで、一番短い暗唱聖句です。

とはいっても、信仰者となって長い人でも、神の愛をどれほど知っているのでしょうか?ただし、『神の愛のうちにとどまり』とも記されていますから、その範囲にいることを望めば、神の愛を共有できていることになります。その愛の中にこそ、「神との交わり」があるのですね。

この愛は、命の代償を伴った愛で、ゆるす愛でもあります。そして、重荷を軽くし、背負わなければならないことを共に、主イエス・キリストが分かち合ってくださる愛なのです。

この愛の選択権は、人間の側に委ねられています。

『すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。(ヘブル12:11新改訳2017)』

また、この愛は、平安から義へと導く訓練の道という性質もあります。健全な愛の中で訓練をされるのですね。その訓練は『喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われる』とも記されていますね。

つまり、信仰者は信じたら、すぐに天国というモノではなく、「天路歴程(ジョン・バンヤン)」のような訓練の道があると言うことですね。

時には、親獅子が子獅子を谷に突き落とすような事もあるかもしれません。しかし、それは「どんなときも大丈夫」という永遠の腕(申命記33:27)に支えられての愛の中での訓練なのですね。

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Posted by dblacks