心の中心に平和

『キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 (コロサイ3:15新改訳2017)』

理屈の上では、心の王座に「平和の君」に座っていただくことで、平和な世の中が到来します。

しかし、実際には、その座をめぐっての内戦が起きているのですね。

肉体的生命と永遠の生命という考え方やオーナー(持ち主)とマネージャー(管理者)という視点も大切でしょうね。

私たち人間は、土の器に入れられて生かされています。命を授けたのは創造主である神で、生かされているのは私です。これが肉体的生命です。

私たち人間に与えられている霊魂は限りないものです。メシアであるイエス・キリストの十字架の贖いによって、それを信じて自分に適用するならば永遠の幸福に入ることができるようになりました。これが、永遠の生命です。

実際の所、私は生かされている存在です。ですから、私の身体を管理する必要があります。これが、自分の身体を管理する管理者という立場です。

私を生かしているのは、創造主である神だと考えています。このように考えると、オーナー(持ち主)は創造主である神ということですね。

主従の関係で考えると、オーナーの意向沿って、マネージャーは行動を求められます。オーナーが「平和」といえばそのように行動する必要があるのですね。

しかし、マネージャにもやりたいことが出てきて、オーナーと意見対立することもあります。ここで、内戦が勃発するのですね。

また、多くの人は、「生きているのは自分だ」と認識していますから、当然、心の王座を譲る必要性すら感じないのかも知れませんね。

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Posted by dblacks