自分の黒歴史も知られている
『心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。(1ヨハネ3:20)』
人間は、「いい子」を演出して生きようと、取り繕いますが、必ずボロは露見します。
自分の歩みの中で、他人に知られたくない、いわゆる黒歴史さえ、創造主である神は、すべてご存じなのです。
それを知ったから差別するような狭い心を持っていないと記されています。
ですから、もし自責を感じるコトがあれば、周囲の誰でもなく「自分自身が自分を責めている」というコトになりますね。
隠そうとするエネルギーは莫大に必要ですから、それが別のことに振り向けられるようになるのですね。
自分の立場が変わったと実感するときに、責められるから隠そうとするところから、助けてもらうために、何をどのように困っているかを開示できるのだという方向転換ができるようになるのですね。
責められていると感じるのは、誰から、どんなことでだと感じていますか?
もちろん、自分から蒔いてしまった種かも知れませんが、すでに解決を見ている事柄なら、その体験を糧にして、責めるエネルギーを他で使えるようにしてみるとマインドも変わりますよ。
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