絶妙な寄り添い方 詩篇23篇

『【賛歌。ダビデの詩。】
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。(詩篇23篇新共同訳)』

12月11日に筆者がこのあたりの文章に向き合っていたときに、寄り添っていた大切な人が天に旅立ちました。身近な者たちは、その時が突然やってくるであろうコトを共有していたので、様々なハプニングはあったものの、つとめて冷静に立ち回ることはできました。

自分の中では、できるコトは精一杯させていただいたつもりでいます。しかし、人間としての限界で及ばなかったこともあるとも考えています。ここ数年、旅立ちに向けて寄り添ってきたことへのご褒美は「ありがとう!ねむたい。」でした。さいごの肉声が「ありがとう」だったのが大きな慰めになっています。

詩篇23篇は病床の場で、臨終に近い場で読まれることが多い箇所です。

人間は、羊飼いである主に保護されている羊として描写されています。

何も欠けることなく、居場所を与えて、必要なモノを整え、疲れた魂を生き返らせてくださると記されています。それを得る為に、一人の人間として、その保護下にたどり着く方法を天から教えてもらう必要はありますが、それは、すでに備えられているのですね。

私が、主の御前に正しく居られるように導いてもくださるのです。羊は好奇心旺盛で、時には群れから離れてはぐれることもあるようです。筆者もそのようなタイプかも知れませんね。

肉体的生命の限界を目前にするときにも、共に居てくださるのですね。ですから、災いに恐怖を感じる必要はないのですね。

地上生涯の間、いつも「恵みと慈しみ」が追いかけてくるというのですから、これを心の中心に留めておけば平安で過ごせるのですね。やがての御国をイメージしつつ。

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Posted by dblacks