永遠との遭遇 ヨブ19:25

『私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。 (ヨブ19:25新改訳2017)』

ヨブは、創造主である神が愛し認める人でした。ヨブ自身は、ほとんどの家族や財産を失っても、創造主である神が私を贖ってくださると、神に対する信頼は揺るがない信仰者でした。

ヨブの惨状を聞いた友人は、ヨブの元に集って、沈黙の時を共にしました。

そして、どうして、このような状況になったのかを論じ合いました。

ヨブに何らかの落ち度があったのではないか? と問われていてもヨブには思い当たるコトはありませんでした。

妻に、「神を詛って死んだほうがまし」と言わせるほどの惨状の中でも、ヨブの口からは詛いの言葉を発せられませんでした。

ただ、どうしてこのような状況になったのかを知りたいという気持ちは持っていたので、ひたすら、神に問いを続けていました。

その答えは、聞くことはできませんでした。でも、もっと大切なコトを知ることができたのです。

『…わたしには理解できず、わたしの理解を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。(ヨブ42:3新共同訳)』

永遠から永遠へと存在される創造主である神の存在と、人知をはるかに超えたその御業の数々を神がヨブたちに語ってくださったからです。(ヨブ38章から41章)

肉体的生命に生かされている人間が永遠を理解することは難しいことですが、創造された御業を見ることによってイメージは膨らみますよね。現実のこととして永遠のことをイメージして、永遠の幸福マインドでいきたいですね。

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Posted by dblacks