自分の器量を分かっていくこと 断捨離

パウロは人間を「土の器」と表現したことがあります。その理由は、土の塵(ちり)を原材料にして創造された人間は、肉体的生命を終えると、土に返るからです。

また、人の内面的なキャパシティを表現する言葉に「器量」があります。

正に、その字のまま、器の量です。その人の心の奥行や広がりをどのように感じるかを他人が感覚的に評するのですね。

筆者は、人にはそれぞれに与えられた器量があると考えています。

それは、努力によっては増やせる余地はあるものの、倍増などと言うのはレアケースのようにも感じます。

理想と現実の間で葛藤をしながらの人生ですが、そのギャップが大きければ大きいほど、身動きさえとれなくなる傾向も強くなってきますね。

そこで、大切なのは、自分の現実を理解し受け入れるというステップです。

理想は理想で一旦、棚の上に置いておいて現実を客観視して、まず、手の届くところにアプローチするという所からでしょうか。

一番影響が大きいものは、自分を取り巻くものとの調整ですね。自分の適量を超えたものたちが、自分を窮屈にしてしまうという現実を理解し、手放すことができるとスッキリします。

でも、これがナカナカできないのですね。「まだ使える」「勿体ない」という罪悪感が大きく立ちはだかるのです。それらには、自分を縛る何らかの要素が含まれていることも考える必要性がありますね。

業者に言わせれば、荷物が少ないという人でも、いざ引っ越すとなれば、トラック何倍分もにもなるのが一般的だそうです。

自分を取り巻く環境が、自分にとって適量なのかを調整していくことから、気持ちの整理が現実的にはじまるのでしょうね。

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Posted by dblacks