その時、私の名前も… 1コリント15:52 リ247
『世の終わりのラッパ鳴り渡るとき 世は常世の朝となり
救われし者は四方の隅より すべて主のもとに呼ばれん
その時、わが名も その時、わが名も
その時、わが名も 呼ばれなば 必ずあらん
リバイバル聖歌247番 一節』
現代の信仰者が待っている瞬間は、このように歌われる「空中携挙」の瞬間です。
信仰者は、信仰を告白した瞬間に、天に名前が記されます。その時には、「天に大きな喜びがある」と記されてもいます。
それは、「また一人、罪と死の恐れから解放された」というお祝いなのですね。
お祝いの方法も多種多様ですが、「クリスマス」「イースター」「ペンテコステ」の意味を実感していれば、ドンチャン騒ぎをしなくても、毎日がお祝いであり、感謝の日々になるのですね。
クリスマスは、かつて約束されたメシア(救い主)であるイエス・キリスト(第二位格)が、肉体に宿り100%神であり、100%人となってこの世にお生まれになったお祝いです。
イースターは、イエス・キリストが、唯一無二の生け贄として、十字架上で贖いを完成し、全人類の罪科の贖いを完了したことをお祝いです。
ペンテコステは、第三位格である聖霊が、神の宮とされる信仰者に内住する「助け主」として降臨されたお祝いです。
これで、信仰者のサポート体制が整っているのですね。
ただし、このサポート体制をフル活用するためには、創造主である神に対する信仰が必要不可欠です。これさえあれば、極論ですが、お金がなくても大丈夫なのですね。
信仰者は、感謝の祈りという形で、毎日毎日このお祝いをしているのですね。
『最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。(1コリント15:52新共同訳)』
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