神に覚えられている人 コルネリオ 使10:1-4
『◆コルネリウス、カイサリアで幻を見る
さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。彼は天使を見つめていたが、怖くなって、「主よ、何でしょうか」と言った。すると、天使は言った。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。(使10:1-4)』
イスラエルの民は、創造主である神がメシアであるイエス・キリストによる全人類の贖いのために選ばれたのです。
創造主である神の究極的な目的は、全人類の救済でした。
ですから、イスラエルの民(ユダヤ人)やギリシャ人や異邦人の区別というのは正しく理解する必要がありますね。
アブラムが召命されたのが、イスラエルの民のはじまりですから、そこからダビデ王を通じてメシアであるイエス・キリストまでの系図が最も重視される所です。しかし、その系図の中にも、異邦人の女性が複数人入っています。それも様々な状況の女性です。
選民というと、それだけで優位性を感じ、周囲は気後れさえしてしまいますが、現実をみていく必要があります。
また、やがての時に至るまで、イスラエルの民(ユダヤ人)の役割は続きます。
それには、祝福も含まれますが、多くは苦難を伴う役割のようです。
全人類という広い枠で見ると、「信仰者は神に覚えられる」と言うことを、当時の異邦人信者であるコルネリオが認められています。
信仰による救いと言われますが、一番大切なコトは、創造主である神に対する「信仰の姿勢」が義と認められるかどうかなのですね。
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