一方的な御業 ヨナ2:9-10
『私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私は【主】を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いは【主】のものです。」【主】は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた。(ヨナ2:7-10新改訳2017)』
ヨナが「ニネベに行け」との召命を受けたのに、逃亡した後、乗船していた船が沈みそうになって海に投げ込まれ、大きな魚の中で、悔い改めの祈りをした一部です。
このストーリーも不思議に満ちていますが、創造主である神の意図と預言者としての立場、そして、人間としての葛藤が見事に描かれていますので、機会があれば聖書を手にとって、ヨナ書をご一読下さい。
「空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。」とあるのは、せっかく自分への恵みがあるのに、偶像に心を留めて恵みを捨て去ってしまうのが人間なのだと感じます。
この「自分への恵み」こそ、創造主である神が、全人類のために備えて下さった「一方的な愛の御業」に他なりません。
ヨナは、異邦人であるアッスリヤ人に対しての預言を語りたく無かったようですね。
その後の展開も、ヨナの予想とは真逆で、創造主である神の警告を聴いて、アッスリヤ人は悔い改めて助かったので、ふてくされてしまったのです。このような心の動きを筆者は「ヨナ症候群」と呼んでいます。
創造主である神は、ユダヤ人のみならず、全人類が「一方的な愛の御業」を知り、理解し、自分の恵みとすることを望んでいます。
ほんとうに、不思議に満ちていますね。
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