自分が歩く道について 箴言20:24
『人の一歩一歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか。(箴言20:24新共同訳)』
人間は、一人一人創造主である神から、魂を授かり生かされています。
つまり、所有者(オーナー)は創造主である神であり、生きている私はパイロットというとわかりやすいでしょうか?
この肉体という土の器は、借り物で、いつか創造主である神にお返ししなければならないのですね。
人生の決定権は、生かされている私にあるのですが、人間はどこまで理解しているのかという問題提起ですね。
人間には、自由意志が与えられていて、間違えた判断を繰り返しても、創造主である神は、ほとんどの場合、介入をされることがありません。
判断を間違えた結果失敗したということも、人間にとっては学習の機会なので、それを邪魔するような野暮なことはしないのですね。
信仰者の場合、オーナーに「どうすればより良いところにたどり着けるのか?」を祈りという形で、問いかけるのですね。
または、聖書を通じて、過去のストーリーに学んだりするのですね。
先人がつまずいたり、失敗をしたことの大半を多くの人が失敗しているでしょうね。
開き直ってしまえば、失敗して当然なのが人間なのですから、どんどんできるコトはチャレンジした方が良いのですね。
その中から、自分の進む道が示されていくのですから…。
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