生き物の定め 中島敦

『理由も分からずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。 中島敦』

生きものの現実的理解が必要みたいですね。

つまり、「生きているのですが、生かされている存在」であるということです。

主体性の話はいったん棚に上げておきます。このテーマは、まず「存在に関わること」ですからね。

家庭環境にしても、生育環境にしても、自分では積極的に選べない要素を考えると、「押し付けられたものを大人しく受け取って」というフレーズが分かる気がします。

乳児幼児が、理不尽な扱いを受けて、いのちの危機にさらされるという報道を耳にする度に、心が痛む思いです。その子達にとっては選択肢が無いからですね。

でも、ある程度、成長してきた人にとっても、命の取り扱われ方が、理不尽に感じることはあります。

それを、自分で何とかできる範囲で、自分なりにどのように改善していくかに目を向ける必要がありますね。

極論を言えば、「人生の大部分は理解不能な不思議なコト」なのかも知れませんね。

自分の人生の意味を考えて、理解を深めていくという方向の選択肢もありますが、私の選択は、それを半分にしながら、与えられたことを「あれがあったから今があるのだな」と感謝するというマインドを持つようにしています。

「どうして?こんなことに」を考えすぎてしまうと、「自分にとっての解」が得られないことで、自分自身を破壊しかねないと考えているからです。

周囲から見ると理不尽だらけの一人の人生でも、当事者は、穏やかに、淡々と、幸せに生きていることもあります。

ですから、人生は考え方であらゆる方向へ道があるのでしょうね。

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Posted by dblacks