ファラオの心情の変化 出エジプト8:25-29

『ファラオはモーセとアロンを呼び寄せて言った。「さあ、この国の中でおまえたちの神にいけにえを献げよ。」モーセは答えた。「それは、ふさわしいことではありません。なぜなら私たちは、私たちの神、【主】に、エジプト人の忌み嫌うものを、いけにえとして献げるからです。もし私たちがエジプト人の忌み嫌うものを、彼らの目の前でいけにえとして献げるなら、彼らは私たちを石で打ち殺しはしないでしょうか。私たちは、主が私たちに言われたとおり、荒野へ三日の道のりを行って、私たちの神、【主】にいけにえを献げなければなりません。」ファラオは言った。「では、おまえたちを去らせよう。おまえたちは荒野で、おまえたちの神、【主】にいけにえを献げるがよい。ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ。」モーセは言った。「今、私はあなたのもとから出て行き、【主】に祈ります。明日、アブが、ファラオとその家臣と民から離れます。ただ、ファラオは、民が【主】にいけにえを献げるために去ることを阻んで、再び欺くことなどありませんように。」(出エジプト8:25-29新改訳2017)』

ファラオは「さあ、この国の中でおまえたちの神にいけにえを献げよ。」などと、態度を変えてモーセにアプローチしてきました。でも、モーセは創造主である神の御心に適わないのでと断ります。

でも、「では、おまえたちを去らせよう。おまえたちは荒野で、おまえたちの神、【主】にいけにえを献げるがよい。ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ。」とも言うようになり、モーセにさらに揺さぶりをかけるのです。

ファラオの背後にサタンがいるのが浮かび上がってきますね。それは、妥協策の提示にあらわれています。

「エジプトの中で捧げたらいいじゃないか」とか「荒野に行っても良いがあまり遠くへ行くな」、そして、極めつけは「私のために祈ってくれ。」ですから、それまでの言動を見ると、どうしてしまったのだろうと感じます。

サタンの働きかけは、人間をできるだけ神の祝福から遠ざかるように誘惑し誘導しようとします。

ファラオの揺れる心情は、人間として透けて見えるようですが、『そういう人は二心を抱く者で、歩む道すべてにおいて心が定まっていないからです。(ヤコブ1:8新改訳2017)』とあるように、まるで二つの小舟に足を片方ずつおくような不安定な心理状態なのですね。

モーセの返事は、「今、私はあなたのもとから出て行き、【主】に祈ります。」でした。

モーセは、冷静にその役割を果たしたのですね。でも、人間として、イスラエルの民を苦しめ続けてきたエジプト人が苦境のままでいることを望む願望が心に潜んでいる時があります。また、敵対する相手のために執り成しの祈りをするには、心の広さも大切になってきますね。

未分類

Posted by dblacks