人生のご馳走とは? ビクトル・ユーゴー
『幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ。食えはするがごちそうにはならない。むだなもの、無用なもの、よけいなもの、多すぎるもの、何の役にも立たないもの、それがわしは好きだ。 ビクトル・ユーゴー』
レ・ミゼラブルの一節だそうです。
多くの人は、幸福というカタチを求めて生きています。自分の理想の幸福に巡り会えていると言う人は、どれ程いるでしょうね。
その様な気持ちからなのでしょうか? 「幸福すぎると恐い」と感情を吐露する人もいるほどです。「自分は幸福になってはいけない」というイメージが内面にすり込まれている可能性もありますね。
このフレーズからは、人生の年輪を感じるような、現実的なニュアンスが伝わって来ます。
「むだなもの、無用なもの、よけいなもの、多すぎるもの、何の役にも立たないもの、」さえも人生のご馳走にしてしまうのですからね。
でも、自分の人生をふり返ってみても、どう見ても要らないモノを衝動買いしたり、使わないものを捨てられなかったりなど、このフレーズに通じる経験があります。
モノゴトの区切りを引きにくい要因は、この辺りにもあるようにも感じます。
まずは、人生のご馳走として、味わってから、取捨選択を考えるゆとりを持つことの大切さを学んだ気がします。
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