生きること以外に浪費されるエネルギー コルトン
『人は宗教のために論争するであろう。そのために書き、そのために戦い、そのために死ぬ、そのために生きること以外は何でもやる。 コルトン』
生きることにフォーカスするのが難しい時代なのでしょうか?
そもそも、生きるためにエネルギーを得る一つが宗教だったと認識していたのですが、そうではない部分が大きいようです。
宗教については、「何が正解か?」という論争
「新しい解釈」という無謀なチャレンジ
「誹謗中傷」という妨害などなど、多くの場外乱闘が見受けられます。
シンプルに言えば、信仰は個人個人が信じて充足感を味わって、生き生きと生活ができれば役割を果たしているのです。
極論すれば、宗教組織がどうのこうの、教義がどうのこうのというのは二の次なのですね。
ただし、まやかしの宗教組織が存在するのは事実で、金額の張る壺などを買わされたり、家族関係が崩壊するなどの破綻に見舞われるケースも多くあるのは、残念な世の中だと、ガッカリしています。
このような時代のニーズは、「何が起きても、心穏やかに生きていられること」ではないでしょうか?
その人が、真理だと信じられることに出会えたなら、それは、尊いことです。それがあれば、生きられるのですからね。
論争から距離を置き、自分の信仰を祈り深めることが、心の自由へと繋がります。
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