メンバーシップ制度よりも大切なコト
「絆」という理解に、窮屈さを感じる人もいます。重要なコトではありますが…。
学校や会社などの社会の共同体に属しているだけで安心感を感じる人もいます。
でも、本当のところ、人が求めているのは、何なのでしょうね?
人間は、言語を使いますが、正しく習得して、正しく使えている人がどれくらいいるのでしょうか?
自分の気持ちを伝えたいのに、半分も伝えられていないような気になって、もどかしさを覚えている人も数多くいることでしょうね。
筆者は、人としての究極の快感は、良好なコミュニケーションにあると考えています。これは、言語コミュニケーションも含めて、マインドとして、ある程度の理解を共有できたという意味です。
共有という点では、結構ハードルが上がります。互いに、共通認識ができていないと実現が遠のくからです。
学校でも会社でも家庭でも、メンバーに名を連ねていれば、それだけで恩恵が受けられるという部分と、それぞれに期待される建設的な行動も求められるでしょうね。
期待が、義務や強制に感じられると、意地でもやりたくないと考える人や、より緩い繋がりを求める人も出てきます。これが、メンバーシップ制度の難しさでもあります。
それよりも、共通の趣味や嗜好を持つ緩やかなサークル活動の方が、好きでやっているという共通項で、することの分担を決めやすかったりします。例えば、料理愛好会だったら、食材を買い出しに行く人、会場の準備をする人、料理をする人、味見をする人、残さずに食べる人、後片付けをする人などですね。
これが、うまく機能すると、そのサークルは継続できるでしょう。そこに、本質的な絆があるのだと考えられますからね。
学校でも会社でも、過程においても、それぞれの役割を適切に担えるとしたら、うまく機能するはずです。
各自の適切でバランスがとれた自発的行動が、積み重なってこそ、メンバーシップ制度は、活きてくるのだと考えています。
これを引き出すのがリーダーシップでしょうね。
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