奴隷の心を忘れる モンテーニュ

『どこで死が待ちかまえているのか、定かでないのだから、こちらが、いたるところで待ち受けよう。死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることができた人間なのだ。 モンテーニュ』

「初めての道のりは長く感じる」という経験をした人も多いと思います。

何回も行くようになると、だんだん最初ほど時間が気にならなくなるものですね。

このフレーズからは、人生の旅路でゴールを意識しておくほうが得策だとのメッセージが、私には伝わって来ました。

確かに、自分が次の瞬間いのちを落とすなどとは考えていませんが、その時は、突然に訪れるものなのでしょうね。

知人などの急逝の報を聞くと、自分はあとどれくらい生きるのだろうと考えることもあります。

どうなるかわからない不確定要素があるからこそ、肉体的生命の終わりを意識しつつ、その地点からの視線でイメージする必要があると言うことなのですね。

肉体的死は、不安を感じる人が多く、恐怖感もあるので、考えたくないという人がいるのは事実です。「死の恐れ(ヘブル2:15)」という記述が聖書の中にもあります。

でも、誰にでも訪れるのですから、考えておくのも大切ですよね。

この恐れからの解放をイメージすれば「自由について考える」というフレーズがスムーズにつながります。

信仰者にとって、肉体的死は、肉体から解放され、永遠の生命に自由に生きる、次のステップになるのですから、恐れと言うよりは、解放される喜びの瞬間というイメージも併せ持つのですね。

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Posted by dblacks