荒野を歩くこと 出エジプト16:1-12
『イスラエルの全会衆はエリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野に入った。そのとき、イスラエルの全会衆は、この荒野でモーセとアロンに向かって不平を言った。(出エジプト16:1-12新改訳2017)』
オアシスであるエリムから、荒野への旅路に出ることになりました。
今度の舞台は「シンの荒野」です。出エジプトをして2ヶ月目に入った辺りです。
そろそろ手持ちの食料が尽きてきたようですね。
イスラエルの民は、「このままでは飢え死にする」とモーセとアロンに向かってつぶやきました。
これは、イスラエルの民全員がつぶやいたというよりも、多数(声の大きい人たち)がつぶやいたと考えた方が良さそうですね。いつの時代でも、創造主である神を信じて忠実に仕える信仰者たちが少数ですが存在するのです。
「つぶやく(不平・不満)」という行為は、創造主である神への不信ですから、神を否定する攻撃となります。自分の願望を述べる時には、神の否定に繋がらないように留意したいですね。
つぶやいた人たちは、それよりも「無い物ねだり」の要素が大きいようですね。
なぜならば、食料はエジプトから連れてきた羊などの家畜もあったのです。決して、何も無かったわけではありません。
彼らは、奴隷生活をしていたエジプトを懐かしんでいたのです。
人は「苦労した思い出を美化する」ようなコトをしてしまうこともあります。
信仰の本質は、「今を感謝し、将来に希望を持つ」という要素があります。
過去は、ふり返って活かすモノであって、縛られるモノではないのですからね。
でも、創造主である神は、このイスラエルの民の不平に耳を傾けて、解決策を示されるのです。
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