マナが与えられる 出エジプト16:13-34

『「わたしはイスラエルの子らの不平を聞いた。彼らに告げよ。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りる。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、【主】であることを知る。』」すると、その夕方、うずらが飛んで来て宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周り一面に露が降りた。その一面の露が消えると、見よ、荒野の面には薄く細かいもの、地に降りた霜のような細かいものがあった。イスラエルの子らはこれを見て、「これは何だろう」と言い合った。それが何なのかを知らなかったからであった。モーセは彼らに言った。「これは【主】があなたがたに食物として下さったパンだ。【主】が命じられたことはこうだ。『自分の食べる分に応じて、一人当たり一オメルずつ、それを集めよ。自分の天幕にいる人数に応じて、それを取れ。』」そこで、イスラエルの子らはそのとおりにした。ある者はたくさん、ある者は少しだけ集めた。彼らが、何オメルあるかそれを量ってみると、たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった。自分が食べる分に応じて集めたのである。モーセは彼らに言った。「だれも、それを朝まで残しておいてはならない。」しかし、彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝までその一部を残しておいた。すると、それに虫がわき、臭くなった。モーセは彼らに向かって怒った。彼らは朝ごとに、各自が食べる分量を集め、日が高くなると、それは溶けた。六日目に、彼らは二倍のパンを、一人当たり二オメルずつを集めた。会衆の上に立つ者たちがみなモーセのところに来て、告げると、モーセは彼らに言った。「【主】の語られたことはこうだ。『明日は全き休みの日、【主】の聖なる安息である。焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものはすべて取っておき、朝まで保存せよ。』」モーセの命じたとおりに、彼らはそれを朝まで取っておいた。しかし、それは臭くもならず、そこにうじ虫もわかなかった。モーセは言った。「今日は、それを食べなさい。今日は【主】の安息だから。今日は、それを野で見つけることはできない。六日の間、それを集めなさい。しかし七日目の安息には、それはそこにはない。」七日目になって、民の中のある者たちが集めに出て行った。しかし、何も見つからなかった。【主】はモーセに言われた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを拒み、守らないのか。心せよ。【主】があなたがたに安息を与えたのだ。そのため、六日目には二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、それぞれ自分のところにとどまれ。だれも自分のところから出てはならない。」それで民は七日目に休んだ。イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れた薄焼きパンのようであった。モーセは言った。「【主】が命じられたことはこうだ。『それを一オメル分、あなたがたの子孫のために保存しなさい。わたしがあなたがたをエジプトの地から導き出したときに、荒野であなたがたに食べさせたパンを、彼らが見ることができるようにするためである。』」モーセはアロンに言った。「壺を一つ持って来て、マナを一オメル分その中に入れ、それを【主】の前に置いて、あなたがたの子孫のために保存しなさい。」【主】がモーセに命じられたとおり、アロンはそれを保存するために、さとしの板の前に置いた。(出エジプト16:12-34新改訳2017)』

イスラエルの民の「飢え死にする」という叫びに対する創造主である神の答えは、「夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りる。」でした。

夕食にはこの鶏肉(うずら)が大量供給されました。この地域には、うずらが多くいたのです。それは、珍しいコトではなかったようです。日本でも、うずらの卵などを食べるのですが、ニーズの変化などで、多くの生産者が廃業を余儀なくされているようです。

そして、朝には、「マナ」と名付けられたパンが不思議な方法で与えられました。

それは、「地に降りた霜のような細かいものがあった。イスラエルの子らはこれを見て、「これは何だろう」」という、誰も知らないものだったのです。

これを「一人当たり1オメル」集めるように言われていますが、多く集めても少なく集めても、重さが変わらなかったようです。一人の栄養を満たすために十分な供給があったのですね。

安息日を除いて、毎朝、マナを集める必要がありました。そして、安息日の前日には、二日分集めるように指示されたのでした。

いつの時代も、欲張りや面倒くさがりの人がいるのですね。二日分だと思って集めたりしても、次の日には食べられなくなったとも記されています。

マナは、とても、新鮮な消費期限の短い食物だったのですね。

大切なのは、毎日の供給を信じるかどうか、その供給に応答する姿勢、つまり、従う信仰態度を訓練されているのですね。

これほど、命の保証がある生活はないように感じますが、その当時のイスラエルの民にとっては、様々な感じ方があったのでしょうね。

このマナと名付けられた「コエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れた薄焼きパンのよう」を一度食べてみたいですね。

肉とパンを食べていたイスラエルの民ですが、食物繊維はどうしていたのでしょうね?

マナの中に秘密があるのでしょうか?

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Posted by dblacks