アマレクとの戦い 出エジプト17:8-13

『さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で討ち破った。(出エジプト17:8-13新改訳2017)』

アマレクは、エサウの子孫だそうです。

エサウと言えば、イサクの長子で、イスラエルの民からすると先祖ヤコブの兄でしたね。

ヤコブが父イサクをだまして長子の祝福を横取りしたかのように言われていますが、その実は、お腹がすいたエサウがヤコブが作っていた美味しい一杯の温かいスープで長子の権利を軽くあしらい売り飛ばしたのでした。

でも、その後の歴史は、怨念のように子孫に語り伝えられていたのだろうと推察できます。

エドム人もエサウの子孫ですが、もう一人の子エリファズの次にアマレクという子孫がいます。ここから、広がったのがアマレクという人々なのですね。

彼らは、定住している人々から略奪をして生計を立てていたようです。

その彼らがターゲットにしたのが、出エジプトして荒野を旅するイスラエルの民でした。それは、創造主である神を認めず、自分勝手な略奪をするために最後部の背後から襲いかかるという卑劣な攻撃だったのです。

これまで、イスラエルの民は戦いをした事がありませんでした。そもそも、飢饉に陥っていたイスラエルの民(ヤコブの家族)は食料を求めてエジプトに下り、安住する内に、気がついたら奴隷状態にされていました。出エジプトの時は、創造主である神がモーセを通じて自ら戦い、民を守ってきました。

言わば、出エジプトでイスラエルという国が誕生したと表現するのが正しいのかも知れませんね。

モーセの従者だったヨシュアを将軍とし、地上戦の責任者に任命しました。この戦いは、イスラエルの民を導く、将来の指導者を養成するためでもありました。また、戦いには人間ができる精一杯の努力が必要という教訓も含まれています。優秀な兵士をそろえて一点突破を狙うことができるのかにかかっていますね。

一方、モーセの役割は執り成しの祈りをすることでした。丘の上に立ち、戦っている兵士が見える所で、神の杖を持ち、両手を挙げ祈り続けるのです。80代でなくても、挙げた両手は、だんだん下がってきますから、その両手を双方から支えるサポート役もいました。それが、アロンとフルでした。

戦いにはそれぞれに役割の分担があるのです。

モーセの手が挙がっているとイスラエルの民が優位になり、下がるとアマレクが優位になったと記されています。継続する祈りと援助を素直に受け入れる謙遜さも大切なのですね。大切なのは信仰による勝利です。

余談ですが、後にメシアとして誕生した赤ちゃんのイエスを殺そうとしたヘロデ大王はイドマヤ人でエサウの子孫でした。イエスはヤコブの子孫ですから、エサウ以来、語り継がれた怨念が、世代を経て渦巻いていたのですね。

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Posted by dblacks