どうして心配するの? ウォルト・ディズニー
『どうして心配するの。あなたが、やれる最善を尽くしたのなら、心配したって事態は良くならないだろう。 ウォルト・ディズニー』
「心配」は「心を配る」というのが本来の意味なのですが、「不安を掻き立てられる」というニュアンスを感じ取る人が多いのではないでしょうか?
結果がどうなるのか?については、結果が出るまで待つしか、他に方法はありません。
でも、それに心を占領されてしまい、やらなければいけないような事柄が手につかなくなってしまいます。
端的に言ってしまえば、それが、人間の興味の大半なのでしょうね。
期待が大きいからこそ、不安も大きく、プレッシャーも感じて、何ともできないジレンマで、ストレスフルになってしまいます。
多くの子どもに夢を与え、虜にしているウォルト・ディズニーは、このような考え方も持っていたのですね。
心配する必要があることと、心配してもどうしようもないことの線引きを合理的に考えた方が、時間の有効活用ができそうです。
人間の情というものは、自分に利害関係が無いことでも、気をもんで心配する一面も持っています。
その気持ちも有難いと考えられる心の広さも必要なのでしょうね。
情なのか? 合理性なのか? 合わせて判断する必要がありそうです。
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