叱られ上手な生き方に 箴言3:11-12
『わが子よ、【主】の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。父がいとしい子を叱るように、【主】は愛する者を叱る。(箴言3:11-12新改訳2017)』
懲らしめというと避けたくなりますね。
叱られるという響きは、教えてもらえるという部分もイメージできます。
チョットしたアドバイスのつもりでも「うざい」と切り捨てられることがある時代です。
「沈黙は金」とばかりに、だんまりを決め込んでいる先輩の方々もいらっしゃることでしょうね。
でも、技術やポリシーの伝承が難しくなっている時代だとも感じます。
今なら、動画でも残せますので、伝える相手が見つからないという方は、動画に残しておいてください。
ある程度、年齢が進むと、誰からも叱られなくなります。
それは、叱られないような行動を取るように回避行動をしているからかも知れません。
もう一つは、あの年になったら何を言ってもムダだと、敬遠されているのでしょうか?
誰かに、もの申されるようなスキをウマくつくることができれば、叱られる機会をつくれる可能性はあります。
学びの機会をつくること、自分の立ち位置を相手と対等に置くことなどを心がけると、叱られるチャンスが出て来るかも知れません。
少なくとも、相手の意見に耳をかたむける傾聴マインドは大切にしたいですね。
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