恥をかかされること バーナード・ショー

『我々は恥辱の世界に住んでいる。われわれは真実に存在するあらゆるものに恥をかかされる。 バーナード・ショー』

東洋には、儒教的な背景があるので、「恥」というワードが渦巻いていると言われます。

人を叱るときにも、「こんなことをして恥ずかしくないのか?」などと言うフレーズもあります。

「恥、汗、ベソ」かいて、「恥」をさらして生きているというのが現実なのでしょうね。

「自分は、恥ずかしくない!」という気概が生きるエネルギーになっている要素も否定できません。

私にとって大切だと感じている要素は、「メタ認知」です。

つまり、「恥をかく」ということを受容するというコトですね。

でも、それは、自分や周囲が理想とする領域と現状のギャップですから、それを客観的に捉えることも必要です。

その前に、等身大の自分を自分自身で受け止める「自己受容」が大切ですね。

そこからはじめると、自分に不釣り合いな高下駄(シークレットブーツ)を履かなくても良くなりますからね。

人間であるコトに優越感を持つよりも、自然界を観察することで、創造主である神が創造された生き物や自然がどのように素晴らしく機能しているかを知ることで、自分のムダなプライドが無用の長物であることを知ったりします。

これを知ったときには、恥を感じますが、実際には、健全な立ち位置への招待状なのですね。

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Posted by dblacks