モーセの律法とキリストの律法 2コリント3:6 1コリント9:21

『神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。(2コリント3:6新共同訳)』

『また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。(1コリント9:21新共同訳)』

文字とはモーセの律法を表します。これは、モーセの律法には、人間を義と認めることも、聖化する力もありません。

新契約の考え方は、信仰を表明するときに義認され、聖霊が内住します。そして、信仰者の内側に刻まれた救いによって聖化が始まるのです。

ですから、新契約時代の信仰者に大切なのは、聖霊の愛の律法が大切なのです。

これは、「キリストの律法」または「メシアの律法」と言われます。

信仰を表現するとは、キリストの律法を全うすることであり、愛を全うすることになります。

また、キリストの律法には、神への愛と隣人への愛が含まれています。

つまり、神に対する関係で、創造主である神がメシアであるイエス・キリストの十字架で死に葬られ三日目に復活されたことにより罪科が贖われたことを信じること、そして、永遠に信仰者と共にいて下さることへの信頼を得て、平安を実感することができるのです。

また、隣人への愛は、自分を愛するように、周囲の人へ愛を実践することです。このためには、まず、自分自身への健全な愛が必要です。また、信仰の自立や精神的自立も大切です。

これは、聖霊の働きによってこそ成立するものです。

聖霊の内住による働きの表れとして、これらが、実体となってくるのですね。

新契約聖書の書簡中にある教えは、キリストの律法が説かれています。それらを通じて、今を生きて行くヒントを得ることができます。

すでに完成されたモーセの律法の存在価値とは何でしょうか?

今の時代の信仰者は、モーセの律法から、多くの適応を学ぶことができるので、その背景を知っていくことは、非常に有益なことなのです。

ですから、旧契約聖書と新契約聖書を通しての学びを継続するのですね。

それらは、メシアであるイエス・キリストが流した血、「紅の糸」で貫かれているのです。

未分類

Posted by dblacks