シナイ契約の条項について

『神はこれらすべての言葉を告げられた。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(出エジプト20:1-17新共同訳)』

シナイ契約は、創造主である神とイスラエルの民との間で結ばれました。そして、モーセの律法と呼ばれる613の中の最初の十戒が授与されました。

その第1戒から第4戒は、神と人との関係の規定で、第5戒から第10戒は、人と人との関係の規定です。

前回は、第1戒から第4戒に触れましたので、今回は、第5戒から第10戒までを取り上げます。

第5戒は、「両親を敬うこと」を記しています。順序から言えば、親から子へと命のバトンを渡され、養育されているという基本原則を味わった人ならば受け入れやすい項目です。

しかし、親だからといって権威を笠に着て、好き放題やりたい放題で、子を虐待するような事例も数多くあります。これが、心のつかえになって、親的なアプローチに対する拒否感につながっている人もいます。

ここで、神の立てた権威に対してどのように向き合うかと言うことと、謙遜を学び自覚することです。自分が存在するのは、誰かのおかげですから、それに対しての感謝と、自分が謙遜と傲慢のものさしのどの位置にいるのかという感覚を持つ必要性をも示されています。

第6戒は、「命の尊厳」を教えたものです。殺すというのは、自分勝手な個人的理由で、故意に殺すことを指しています。

ただし、創造主である神の規定では、死刑というものが存在します。レビ20:10では姦通は死刑、民35:16-21では、故意の殺人を犯した者を殺しても良いとされ、過失で殺した人には、逃れの町に逃げ込むことができると記されています。また、申13:15(新共同訳は16)では、偶像礼拝を煽動した者を殺すことや、主が命じる戦いにおいての殺人は許可されています。

これらを用いて、聖戦だから殺人が正当化されるというのは、煽動する側に問題があるケースが多いので判断が難しいですね。

第7戒は、「姦淫してはいけない」です。結婚関係の尊厳を教えています。いつの時代にでも、不倫や不貞が無くならないのは、人間の悲しい性なのでしょうか。パートナーとお互いの良好な関係性にフォーカスしたいですね。

第8戒は、「盗んではいけない」とし、私有財産の尊厳を教え、第9戒では、「偽証してはならない」と、真実の大切さを教えています。これは、隣人の正当な価値を守る行為なのですね。

第10戒は、「貪欲という罪」を教えています。神はすべての必要を満たして下さるという信仰を否定する罪です。他人が持っているものを手に入れたなら幸せになれると言う幻想を戒めています。

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Posted by dblacks