天国か地獄か ジョン・ミルトン

ジョン・ミルトン,喜怒哀楽,天国とか地獄とか

『地獄を天国となすも、天国を地獄となすも心持ち次第。 ジョン・ミルトン』

「地獄の沙汰も金しだい」などとも言いますが、実際に体験したことがないので未体験ゾーンです。

現代の社会風景を見ていると、お亡くなりになってからもお金が必要になっているというお話しです。

その内容は、まず病院への残金精算、お葬式に関する費用、お墓に関する費用、法事に関する費用などです。

地域によっては、百回忌まで行うという話も聞きますから、知らないご先祖様に対しての費用を子孫が負担するという流れがあるのですね。

また、経済的に大変で、そのようにしたい気持ちがあってもできない状況も結構あるようです。

一方、そのような慣習からは、距離を置く、極めてドライな方法もあります。

どのようにするかは、当事者の判断で、ケースバイケースですので、各国の法律によって定められた方法で葬る最低ラインは遵守する必要があります。

さて、ここからは、この世で生きるという話です。

喜怒哀楽を表現するのに、それぞれが、それぞれの基準で、天国とか地獄とかを使い分けていますね。

「今日は犬の糞を踏んでしまって最悪だった」と言えば「ふーん」というやり取りをしてしまいがちです。

この最悪が、ある人にとっては「地獄」のイメージなのかも知れませんね。

学生ならば、テストはネガティブイメージを抱いている人が多いですから、「今日からテスト地獄だ」という表現につながるのかも知れません。

自分にとっての「苦」が「地獄」で、自分にとっての「喜(快)」が「天国」の表現につながるようですね。

人生は、喜怒哀楽の繰り返しです。

特に、「怒哀」が迫ってくるセンサーは非常に強い傾向があります。

これは、前にも述べましたが、防衛本能によるものだと考えています。

一方、「喜楽」に関しては、無関心なほど、感動が薄いときもあります。もったいない話です。

ただ、この「喜怒哀楽」には、「天国」のイメージも「地獄」のイメージも内包されていると考えられると、状況の感じ方も変化するのですね。

「喜」の中にも「苦」の要素があり、「苦」の中にも「喜」の要素があるということです。

自分が、「今日は最悪だあ、地獄だあ」と感じるときに、その中に一筋の光明が差してないかを観察してみるのも、新たな発見につながる可能性があります。

気合い(ガッツ)だけではなく、実践して実感して行くことこそ、チャンスをものにできる可能性が広がりますね。