エゴは祝福の対極に 箴言6:16-17 イザヤ57:15

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『【主】の憎むものが六つある。いや、主ご自身が忌み嫌うものが七つある。高ぶる目、偽りの舌、咎なき者の血を流す手、 (箴言6:16-17新改訳2017)』

「エコ(環境にやさしい)」という言葉が一般化しています。

でも、エコ活動の取り組みの中にも、「エゴ」が混ざっているようなケースも散見されます。

技術発展と環境保護は、両立できない分野もあり、どちらにもコストがかかるという現実があります。

せめて、自分自身の生活環境の中で、自然破壊を極力しないように気をつけたいと考えています。

伐採や里山の手入れなどは、自然保護の観点から必要な要素のあると聞きますから、その点は勉強を進めていきたいですね。

冒頭の聖句には、「憎む」「忌み嫌う」「高ぶる目」「偽りの舌」「咎なき者の血を流す手」などとインパクトがある言葉が並んでいます。

あえて、エゴという表現をしたのは、創造主である神が望まない方向性の行為だからです。

それらを主は憎み、忌み嫌うのですね。

その理由は、主が備えている祝福の範囲から離れてしまうからです。

「高ぶる目」というのは、神(主)を不要とし、自分が神(主)として振る舞うことです。

人間をコントロールしているものは心です。

そこから、様々な指令が出て、善にも悪にも行動を促すのです。

高ぶりの反対は、謙遜です。

この姿勢こそ、人間をより良い方向に導いてくれるのです。

『いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。 (イザヤ57:15新改訳2017)』

とあるように、以前と同じ人間と思えないような、全く違う人生を歩む事ができるようになるのですね。