物乞いをする祈り方 クリスチャンはクレクレ星人?

お祈りのイメージは十人十色だと感じています。

信仰は多様性があり、何を中心にするかによって大きな違いがあります。

自分中心であれば、自分が良くなることに焦点を合わせます。

欲望中心ならば、その望みが叶えられることに焦点を合わせます。

でも、ココで私がイメージしている信仰の中心は、創造主である神です。

永遠から永遠までの存在で、全宇宙を治めている「いのちの源」に焦点を合わせようとしています。

でも、実際にクリスチャンだと表明している人の中には、さまざまな信仰を持つ人がいるのです。

それは、それぞれ求めが違うので、当然かも知れません。

日本人は、神社を参拝する人が多くいます。お賽銭を入れて、願い事を述べると言うのです。でも、それが実現しなくても、何とも思わないと言う人がいました。

クリスチャンの中でも、自分の願望は必ず叶うと考えている人もいます。

「高価で貴い」という部分を「ハイプライス(高額)」と考えている人もいます。

「高価で貴い」の真意は、むしろ、オンリーワンで「プライスレス(値段がつけられない)」というのが大切なポイントだと私は考えています。

自分の願いと合致することもあれば、合致しないこともあります。

「願い事を祈る」のは推奨されていますが、最終的には「神の御心が成る」というのが、健全なポイントだと考えています。

祈りは、大祭司イエス・キリスト(第2位格)の御名によって、天の父(第1位格)に、聖霊(第3位格)の執り成しによってなされるものです。

まず、創造主である神を崇めること、次に、天来の恵みを感謝すること、そして、自分の願いを申し上げることなどがあります。

でも、大切なのは、御心ならばという姿勢です。

ジタバタする祈りも否定されませんし、聖書の中にも、「祝福するまでは離さない」という格闘シーンも記されてあります。

さらに、神の「細い声」を聞く姿勢です。祈りには静思する時間も大切だと考えています。

それでも、何も聞こえないようなコトもあります。

その様な時には、祈りながら最善を探りつつ、行動をしていくことが必要です。

祈りは、願い事だけではないことをイメージしながら、バランスを考えて行きたいですね。

未分類

Posted by dblacks