見守る目 箴言15:3
『【主】の目はどこにもあり、悪人と善人を見張っている。(箴言15:3新改訳2017)』
見守る目なのか? 監視なのか? 人によって感じ方は様々でしょうね。
歴史では、各国に諜報機関があり、今も自国の利益などを守るために活動をしています。
その活動には、光と影が付きまとい、功罪があると評されています。真実は白日の下にさらされることはまずありませんから、利害関係が崩れれば、その組織自体が消滅したり、改組したりすることになるようです。
日本の戦国時代や江戸時代にも、忍者を代表とする忍びの軍団が隠密活動をしていました。情報を制するモノが権限を掌握すると言うのは、洋の東西を問わず、時代を選ばずという感じでしょう。
自分自身を守るために必要なのは、水や食料も必要ですが、何よりも情報が大切なのではないかと考えています。
まず、自分の現状を知るための情報、自分に差し迫った危険がないか? などを探る必要があります。
また、他人から情報を得るということもあります。これは、自分ではない人が得た情報ですから、自分にない視点が増えることになります。
情報を得る工夫は、コミュニケーション能力を必要とします。人生をサバイバルするためには、不可欠なコミュニケーション能力を磨いていきたいと考えています。
しかし、情報には利害関係が付き物です。その情報を鵜呑みにせずに、自分なりに解釈して活かしていくことも大切ですね。
人間は、誰も見ていないところで、何かをコソコソとやりたいと考えがちですが、実際にはどうなのでしょうか?
今や監視カメラが多く設置されていますから、ロンドンで一日出歩くと、100回程度は動画の記録が残ると言われるほど普及しているようです。監視カメラとはいわずに、安全カメラと言い換えたりしますが、実際の所、監視カメラが主たる目的でしょう。
人間に限らず、動物は生きていくために与えられた防衛本能があり、2つの点を目と捉え、3点目を口と認識すると聞いたことがあります。心霊写真の類いも、その原理が影響しているようです。
とにかく、自分を見ていると感じることが、不快と感じるからなのでしょうかね?
どうやら、恐怖心や怯えに繋がる情報と捉えてしまっていること間違いないようです。
どうして、そのようになるかは、人間のDNAには基本的に、自分自身には不可能な不安を抱えているのが、最大の要因だと考えています。
善人でも怯えを感じるのですから、悪人なら、なおさらでしょうね。
でも、実際には、見張るというよりも見守るというイメージではないかと思うのです。
誤魔化さなくても良い解決策を持ちながら、見守る創造主である神の目をどのように受け止めるかがポイントなのですね。
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