「道」を伝え継ぐ必要性 中江藤樹

『家をおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり。子孫に道をおしえずして、子孫の繁昌をもとむるは、あくなくて行くことをねがうにひとし。 中江藤樹』

後継者問題に悩む中小企業が多いと聞きます。

「誰に何を引き継いで欲しいか」と「何を引き継ぎたいか」とのミスマッチが考えられますが、継ぐ人、自体が不在という現状だそうです。

産業の変化などで、自社物件で人件費も最小限でないと立ち行かない業種は、その代限りで清算する選択をするケースが多いようです。

中江藤樹のこのフレーズは、「子孫に道を教えずして」と記されています。

この道とは、「考え方」ですね。

お金や道具よりも、知識よりも、「知恵」ということだと推察します。

闇雲に、「うまくやれよ。決して、潰すんじゃないよ」なんて、相続させても、それだけではウマくいかないだろうということですね。

自分ができるのなら、誰にでもできるという考え方もあるでしょうけれど、よく似ていても考え方に微妙なズレが生じたりするのです。

今、AIロボットの技術が目覚ましい進歩をしていますが、それに携わっている人が「道(プログラム)」を開発して、ロボットに覚えさせているから実現しつつあるわけです。

自分が引き継いできたモノと、自らが育んできた知恵を誰かに伝え、その人が継ぎ、さらに育んでいくというサイクルが必要なのでしょうね。

これを書きながら思いだしたことがあります。

内村鑑三は自身の著書「後世への最大遺物」の中で、『昨晩は後世へわれわれが遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話をいたしました。…それでもし私に金を溜めることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の思想[#「思想」に白丸傍点]です。もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。あるいはそうでなくとも、それに似たような事業がございます。すなわち私がこの世の中に生きているあいだに、事業をなすことができなければ、私は青年を薫陶《くんとう》して私の思想を若い人に注いで、そうしてその人をして私の事業をなさしめることができる。』と述べています。

「後世に遺せるものは、金・事業さもなくば思想」つまり考え方であり、その中には知恵も含まれます。直系でなくても、誰かに伝えたい何かを伝えられる人は幸せですね。

なかえ‐とうじゅ【中江藤樹】
江戸初期の儒者。近江国(滋賀県)の人。名は原、字は惟命(これなが)、通称与右衛門。始め伊予国(愛媛県)大洲藩に仕えたが、脱藩帰郷して村民を教化。王陽明の知行合一説に傾倒し、わが国陽明学の首唱者となる。後世近江聖人と称せられ、門下から淵岡山、熊沢蕃山らが出た。著「翁問答」「鑑草」「藤樹文集」など。慶長一三~慶安元年((一六〇八‐四八))
精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006

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Posted by dblacks