人生の意味は問われている ビクトール・フランクル
『そもそもわれわれが人生の意味を問うべきなのではなく、われわれ自身が問われているものであり、人生がわれわれに出した問いに答えなければならない。 ビクトール・フランクル』
八巻正治は自著『聖書とハンディキャップ』の中で「しかしフランクルとて、そうした強制収容所からの真の自由は、ドイツ軍の敗北によってしかなしえなかったのであり、(中略)個人の努力によっては、いかにしても解決のできない困難性や問題性も数多くあることは事実なのです。」
人生の大きな葛藤は、「個人の努力によっては、いかにしても解決のできない困難性や問題性」です。
これに対して、どのように向き合うかが、その人の人生を方向付けるのではないでしょうか。
このフレーズは、人間が抱く運命論的な「どうして?」という問いかけよりも、現実的に直面する自分の前にある壁に気づいたときに「さて、どうする?」と言われていると理解すれば良いのでしょうか?
少し、とんち気味な印象を感じますね。
「親ガチャ」という言葉が一般的になりつつあります。
「生まれてくる子供は親を選べない」という意味で、親に失望したときに、「自分は運が悪い」と感じる人が多くなってきた背景もあり、使われている言い回しです。
確かに、人間には、親だけでなく、その他の多くの要素が選べないものですね。
『夜と霧(ヴィクトール・エミール・フランクル著)』に記されていることは、その多くを表しているように感じます。
彼は、精神科医として有名ですが、脳外科医としての腕前も一級と言われるユダヤ人医師でした。
ナチスにドイツ人を治療することを禁じられ、任を解かれました。結婚の9ヶ月後、家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父がここで死亡し、母と妻は別の収容所に移されて死亡しました。
フランクルはアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、1945年4月にアメリカ軍により解放されました。
フランクルのロゴセラピーは収容される時点でその理論はほぼ完成されていて、自らの収容所体験が理論の正当性を検証することになったというのが正確な順序になります。
(wikiを参考に編集)
多くの人は、自分が置かれた所に、失望感を抱き、絶望に至ってしまうという現実があります。
でも、その場所で、「さあ、これからどうする?」とか「面白くなってきたじゃないか!」と言う風に向き合ってみるのも人生の醍醐味なのかも知れませんね。
ヴィクトール・エミール・フランクル(ドイツ語: Viktor Emil Frankl, 1905年3月26日 – 1997年9月2日)は、オーストリアの精神科医、心理学者。著作は多数あり日本語訳も多く重版されており、代表作は『夜と霧』である。
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