嘘と真実のハザマで 情報リテラシー
情報の洪水の中で生きている現代社会、その中に真実がどれくらいあるのでしょうか。
「嘘」というと、いささかショックが大きいですが、「真実ではない情報」の類い、例えば、ウワサとか、想像だとかという内容が、地上波テレビなどで断定情報のように垂れ流されている状況には疑問を感じています。
あまりにも一方的な場合は、誰かの利益のための「プロパガンダ」という受け止め方をしてしまいそうです。
プロパガンダとは、デジタル大辞泉によると、『宣伝。特に、ある政治的意図のもとに主義や思想を強調する宣伝。』と説明されています。
利害対立から、紛争に発展した場合、当事者によって話し合い、解決の方向性を探るのが大前提です。
メディアがどちらか一方を貶めるような、情報を垂れ流すことが異常なのです。
インターネットの場合、地上波TVと違って、玉石混淆の様々な情報の中から、整合性を探る事ができるので、多様性はあるように感じています。
しかし、このインターネットにも検索結果が操作される事例があったり、公開自体に規制があったりという現実があります。
世界の支配を目論む勢力は、このインターネットを庶民に開放してしまったことを後悔しているような話まであります。規制をかけたいのは、その焦りからなのかも知れませんね。
両論併記という中立的な報道を心がけるメディアは、信頼感を得ることでしょうね。
民放は、スポンサーによって、電波を出し続けることができていますから、資金源からのプレッシャーがあれば、「右」と言われれば「右」と言わざるを得ないのでしょうか?
現実的に起きている珍現象の受け止め方は、さまざまです。
今回の件などで、不安や誹謗中傷がイヤになり、地上波TVを見なくなったという人もいます。
その一方、その情報だけを真に受けて、怒りに震えて、不安を募らせている人もいます。その先にあるモノは、軍事費の拡大や緊急事態条項(憲法改正やパンデミック条約)の設置だったりします。
怒りは判断力を鈍らせますから、それに支配されないように気をつけたいと考えています。
その情報を俯瞰できる視点や思考を大切にしたいですね。
また、真実は大切ですが、必ずしも人を幸福にするとは限りません。
むしろ、真実は人を傷つけてしまう事の方が、多いように感じます。
情報の歪みや真実に直面することに対応できるようなマインドを自分の中に作り出していくことも、成熟のための大人のたしなみなのかも知れないですね。
非難から平和にたどり着く道のりはとても長いことでしょう。
避難や誹謗中傷から、適度な距離感で、その人たちの目的を考えていく冷静さを持ちたいですね。
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