下足番を全力で 小林一三
『下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。 小林一三』
日本も欧米化の波に飲み込まれ、会合をする会場は、土足のままと言うことが増えました。
しかし、下足をして宴会をするのも、日本的な開放感があり、良いものです。
懐かしさも漂うフレーズです。
下足番と言えば、織田信長のわらじを懐で温めた秀吉をイメージします。
農民から天下統一を成し遂げたと言われる秀吉は、さまざまな戦略家としても有名です。
そのようになると分かっていたなら、織田信長も「さる」とか「禿げネズミ」などとは呼ばなかったのかも知れませんね。
このフレーズの下足番ですが、ある経営者が日曜日には、通う教会の下足番を率先してやり、来会者をもてなしているという話も聞きます。
わらじの時代の下足番は、奴隷の役回りですから、それを率先して行うことに、謙遜の姿勢を感じます。
それを嫌がることなく、にこやかに、穏やかに行うことは、最高の接待になることでしょうね。
これは、大リーグで大活躍している「オオタニさん」が実践している「ゴミ拾い」でも、相通じる要素を感じます。
なんで、わざわざするのか?という意見もあります。
しかし、下足番にしろ、ゴミ拾いにしろ、自発的に行うことに大きな意味を感じます。
「小事に忠なるの者は大事にも忠」という言葉もあります。
一事が万事です。
任命を受けたなら、自発的に、快く役割を果たせるマインドを育みたいですね。
小林 一三(こばやし いちぞう、1873年1月3日 – 1957年1月25日)は、日本の実業家、政治家。 阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者[2]。
鉄道を中心とした都市開発(不動産事業)、流通事業(百貨店、スーパーなど)、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、後に全国の大手私鉄や民営化したJRがこの小林一三モデルを採用し、日本の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えた。これらの事業は後に阪急百貨店、宝塚歌劇団・東宝として阪急東宝グループを形成する。その過程で六甲山麓の高級住宅地の開発、学校法人関西学院等の高等教育機関の誘致や温泉、遊園地、野球場など娯楽施設の整備を行い、日本最初の田園都市構想を実現した。
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