めぐみの時代 恵みの真意 エペソ2:8-9 2ペテロ3:8-13

『8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:8-9新改訳2017)』

永遠に続くのは、【主】の愛です。それは、人間の態度に関係なく、天から降り注いでいます。空気や水、そして、大陽などのめぐみは、生命存続のために必要不可欠です。

究極的には、不安の根本である「死」の根源に横たわる「罪」の解決策です。

しかし、【主】の愛を感謝して受け取る人と、その存在にさえ気づかない人には、大きな差が生じます。

新約時代の幕開けは、律法時代を通ってきた人たちには、朗報なはずですが、その違いに大きな戸惑いがあるようです。律法時代には、信仰が必要なかったわけではありません。犠牲の動物を用意して献げるのも、信仰が伴う行為でした。新約時代は、イエス・キリストご自身が、犠牲となり、律法は完成されました。ですから、信仰によって【主】の愛(恵み)を受け入れるだけで救われる時代です。

受け入れるだけというのが、気に入らないとか、信じられないという人がいますが、無代価で提供されているのには理由があります。それは、人間には払えないからです。そして、【主】は惜しみなく与える御方だからです。

このチャンスは、【主】の再臨の直前まで続きます。しかし、厳密に言えば、それぞれが自分のいのちの日の間、しかも自由意志が発揮できる間がチャンスです。それぞれの寿命や認知状態が影響します。

その信仰を【主】が義とされる事により、救いが確定されるのです。

旧約時代にも、ノアやヨブやアブラハムのように、信仰者はいました。その人たちは、【主】を認めて、「その信仰を義」とされたのです。つまり、人間は、「信仰を義」とされるか否かで、永遠の差が生じるのです。

【主】による救いは、「天国行きの切符」と表現されたり、「天国へのパスポート」と表現されたりします。

【主】は、「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」とありますから、チャンスがあるうちに、永遠の備えを確立される事をオススメいたします。

なぜ今のうちがチャンスかというと、空中携挙後には、終末に向けてサタンの感化が強まり、迫害、そして殉教が待っているからです。

今の時代がめぐみの時代と言われるのは、信仰者の次の希望が、空中携挙という段階だからです。

地方教会に属するとか、礼拝厳守よりも、あなたが福音の三要素を信じ受け入れ、【主】の愛の翼に宿る事が最優先課題です。コミュニティは後々探せば良い事なのですね。

『8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。13 しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(2ペテロ3:8-13新改訳2017)』

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Posted by dblacks