ラオデキヤへの手紙は今の時代へのメッセージでもある 黙示録3:14-22

『14 また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる──。15 わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。16 そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。19 わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせる。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。22 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』」(黙示録3:14-22 新改訳2017)』

ラオデキヤとは、当時ギリシャに属していた小アジヤ地方にあった街です。今は、トルコ領です。

当時のラオデキヤは、金融や繊維(布・上衣)、製薬で潤っていたお金持ちの街でした。

紀元1世紀に存在していた地方教会ですが、1900年以降の背信の教会のひな型として取り上げられています。つまり、今の時代にも向けられた内容が記録されている部分もあるのです。

宛先は「ラオデキヤ」ですが、送り主は「アーメンである方」「確かで真実な証人」「神による創造の源である方」と記され、その意味は、真の神【主】、第二位格であるイエス・キリストご自身を表しています。

基本的に人間世界の背景に【主】の主権があること、約束を必ず守る真実な承認、創造主として被造世界に権威を持つ御方という存在を示している理由は、これから厳しい内容を語る準備でもあります。

ラオデキヤに関しては、賞賛の言葉はなく、【主】には受け容れ難い忌むべき霊的状態があったと推察されます。

「生ぬるく(16)」という表現は、この地域特有の水源の問題がありました。数キロ北にはこの街が水源とするヒエラポリスの温泉があり、地下水路を通る間に、水が生ぬるくなったようです。このような表現は、地元の人がより深く理解しやすいように、配慮されています。

その意味は、「信仰に無関心で、世情に妥協して、心からキリストを閉め出している状態」だと指摘されているのです。

例え、信仰告白しても、表面上だけで、救いに到達しないか、霊的成長が見られない状態なのです。

物質的な豊かさに気を奪われて、自分自身の霊的貧しさに気づいていない状態が「みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸である(17)」だと記されています。

この状態は、世界的に、人間が陥りやすい状況のように感じられます。

21世紀にも影響を与え続けているギリシャ文化などを交えて、人間の知恵のすばらしい面と、【主】に向き合った時に、いかに不十分であるかを示されているように感じられます。

今の時代に問われているのは、個人単位の信仰と救いであり、自立した信仰者の集いである地方教会であるかどうか? ではないでしょうか。

次回の日曜日は、この辺りを書いておこうと考えています。

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Posted by dblacks