相手を変える動機のアプローチはほとんど失敗する

「困った!」と言う時の相談は、かなりの確率で、自分ではなく相手を変えたいという内容です。

でも、これはほとんどのケースで失敗します。

不登校や引きこもり、対人関係での意見の相違が起きると、自分に非がないと考えれば考えるほど、相手に変化を求めます。

流れから考えても当然のことですね。

でも、その前に観察して確認しておく大切なポイントがあるので記しておきます。

それは、今の状態を知ることです。

よくあるアプローチは、相手に言葉や態度でプレッシャーをかけてしまうケースです。

追い込まれれば、相手は言葉では「変わります」と言わざるを得ないのですが、その約束が果たされることは、まずありません。

それは、相手の意識と身体が逆行しているからです。

生活が変わると、身体も変化をします。その変化にほとんどの人が気づけないまま、「気合い」や「ごほうび」で、身体にムチを入れて動かそうとしている状態です。

「状態を知る」こととは、意識や身体の状態を本人と一緒に、確かめていくというイメージです。

例えば、「風邪を引いて熱発して、喉が痛く、水分をとるのも大変」とわかれば、なんとかいのちを保てるように水分を摂取できるような工夫を考えますね。

安心していられる居場所を探し、いのちを保つ対策をするところからはじめるのです。

「変えようとするな。わかろうとせよ」という教訓の「わかろうとする」アプローチですね。

そして、本人が主体性を持って考えたり、活動できる範囲を探ります。引きこもる人の背景要因で大きいのは、「防衛本能」だと考えられています。

つまり、本人は、自分が「大丈夫」な場所を求めているのです。

人間が活動できる範囲は、そこそこ大丈夫でも、キケンと隣り合わせです。

何かがあれば、警察の助けを借りなければ乗り切れないこともあります。

でも、そのような対処も含めて「大丈夫」だと考えられるには、本人の中に「大丈夫」が積み上がるステップが必要不可欠です。

これに向けて、共同作業が必要です。

本人の中での混乱や葛藤をどの様に支えていくかが、サポーターの課題なのですね。

「原因探し」や「犯人捜し」が先行することなく、本人の中で「大丈夫」が熟成されることに寄り添うイメージですね。

参考資料:学校に行けない「からだ」諸富祥彦 著

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Posted by dblacks