自分自身との関係がカギ 小林秀雄
『自分自身と和する事が出来ぬ心が、どうして他人と和する事が出来ようか。 小林秀雄』
人間を分けて考えてみると、「他者を責める人」「自分を責める人」「誰も責めない人」という感じでしょうか?
「自分を責める人」は、何事も抱え込みがちで、気づくとウツ傾向が強くなっているかも知れません。でも、自傷行為に発展するケースもありますから、その点は注意が必要です。
「他者を責める人」は、その前のステップがあり、まずは「自分を責めている」のです。それに、耐えられないので、「他責」に走るのです。自傷行為から、他人を傷つける行為まで懸念がありますね。
世の中、理性的な人が多いですが、混乱する世の中では、それが機能しないこともあります。今の時代は、通り魔予備軍が多いと懸念されています。
一方、「誰も責めない人」もいます。その人は、「自責と他責」を乗り越えた状態だと考えています。つまり、自己受容ができていて、自分を責める必要がないのです。
私は、この「自己受容」が、「自分自身と和すること」だと、理解しています。
自分が「ハイ」であればOKで、「ロー」であればNGという評価もあります。
でも、そうではなくて、「あるがままの自分」を受け止めて、受け入れていくことができるかどうかに、かかっています。
ゴルフのプレイのように、「あるがまま」の状態を受け入れながら進めるのです。
自分自身に対して、これができれば、しめたものです。
不思議なモノで、「自分を愛するように隣人を愛せよ」とあるような事が、できるようになるのです。
この延長ラインが「他人と和する事」ですね。
人間ですから、様々な波に揉まれると、「自責と他責」の気持ちがムクムクと湧くこともあります。
しかし、その葛藤さえも、「自己受容」によってクリアして行くことを体験済みなら、幾度でも繰り返すことができるのです。
多くの人が抱えている葛藤は、「自己受容」の手前の領域かも知れないと、私は考えています。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日[注釈 1] – 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家、美術・古美術収集鑑定家。
人物
近代日本の文芸評論の確立者であり、晩年は保守文化人の代表者であった。アルチュール・ランボー、シャルル・ボードレールなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエフスキー、幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉らの作品、ベルクソンやアランの哲学思想に影響を受ける。本居宣長の著作など近代以前の日本文学などにも造詣と鑑識眼を持っていた。
『生きて行く私 宇野千代著』(角川書店)
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