賢者の生き様 モンテーニュ
『賢者は、生きられるだけ生きるのではなくて、生きなければならないだけ生きる。 モンテーニュ』
「賢者」には、特段の使命があるようなニュアンス溢れるフレーズです。
「生きること」には、明確な正解があるわけではなく、人間は創造主である神【主】から魂を授かり、生を受けて生かされている。
そして、それぞれに寿命があるというのが、現実的な要素です。
最近は、「生きる意味」を問う傾向が強くなってきました。
その「?」のヒントになるようなフレーズです。
それもそのはず、現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けたとされる『モンテーニューエセー』の中に記されています。
人間は、受け身に立てば「生きられるだけ生きる」と言うことで、そこに矛盾は無いように感じます。
しかし、「生きなければならないだけ生きる」と記されているのは、賢者の場合です。
その自ら「生きる」とする積極性と自分自身の使命を感じる感性こそが「賢者」の特性のように感じます。
それは、時間の使い方にも関連しているのかも知れません。
SNSや動画サイトを閲覧していると、ついつい時間ばかりが過ぎていき、ヤル必要があることを先送りしているのは、多くの人が経験していることでしょうね。
でも、同じ時間を与えられている人間のはずが、たまに後ろを振り返ってみると、その差が歴然としている現実に愕然として、時には顎が外れそうになります。
その差を生むのは、それぞれの時間の使い方であり、生きる姿勢の違いなのだとつくづく思います。
情報処理能力や表現技術などは、センスも関連していると考えていますが、思考の部分が最大の差を生むのでは無いかと私は考えています。
それは、「賢者」が「賢者」たる所以なのでしょうね。
その動機の部分を見習って、自分ができることに励みたいと感じました。
ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne [miʃɛl ekɛm də mɔ̃tɛɲ], 1533年2月28日 – 1592年9月13日[1])は、16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者[2]。モラリスト、懐疑論者、人文主義者。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、ヨーロッパの各国に影響を与えた。
『モンテーニューエセー』(白水社)
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