感情コントロールとの戦い 「攻撃性」「トラウマ」「依存症」
自己制御が不能に陥ることがあります。
それは、自分の傷に塩を塗り込まれた時かも知れません。
その様な時に、周囲に迷惑をかけないように振る舞えれば良いなと考えています。
でも、街中では、日常茶飯事で暴力沙汰が起き、関係各方面の方々が大忙しのようです。関係者の皆様、いつもご苦労様です。
その背景にあるのも、「愛着障害」のようです。
人間の成長、成熟に伴って、感情のコントロールができるようになっていくのが理想です。
しかし、そうならない現実も多々ありますね。
「依存症(アディクション)」は社会問題になっていますが、その解決の糸口も見出せません。
法的整備にも限界がありますし、あくまでも自己責任の範疇です。
それをよいことに、特殊詐欺のように、犯罪グループや宗教団体の皮を被ってまで、行為が及び、被害者が後を絶ちません。
それでも、本人が幸せならば良いのかも知れませんが、マインドコントロール下に置かれれば、人間本来の正常な感覚も麻痺させられます。
その他にも、ギャンブルやスマホやインターネットなどの依存対象は、手を変え品を変え、魅力的に待ちかまえています。特に、ショッピングサイトも様々な彩りも魅力満載で待ち受けています。
それらは、キリが無い世界の入口なのですが、そこに迷い込んでしまうこともあるのです。はまりこんでしまったら、そこから、引き返すのは容易なことではありません。
それは、人間の心に潜む要素とも関係しています。
「○○があれば」という思いです。それらで、安心・安全な気持ちを味わい、その広がりの大海を探索しているような感覚が、一瞬の充実感をもたらしてくれるように感じるのです。
そこを離れると、不安との戦いが待ち受けています。
それもそのはず、自分には、安心・安全な基地がないからです。
その中で、自分自身を守ろうとしたら、「攻撃性」で相手を威圧するくらいしか持ち合わせがないのです。
気がつけば塀の中というケースは、非常に多いようです。
もし、「愛着」を持てる自分の基地があったなら、他の人生が開けていたのかも知れません。
気づいたときが、自分の人生を自分の自由意志で始められる再スタートの時です。
感情のコントロールがある程度できるようになると、社会生活は大きく変わります。
個性が埋没しない程度の穏やかな人生が過ごせるはずですね。
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