クリスマスおめでとうございます。 天の喜びを地上でも共有したい。ルカ2:8-20

『8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。17 それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 ルカ2:8-20新改訳2017』

どうしてクリスマスが「おめでとう」なのでしょうか?

「おめでた」を天使から告げられた母マリアは、一切身に覚えがないので戸惑いました。しかし、マリアは信仰で【主】のワザが成就するようにその役目を引きうけました。

【主】に選ばれた民であるイスラエルには、「やがてユダヤを救うメシア(救世主)がダビデ王の血筋から現れる」と示されていましたから、その系図にいるユダヤ人女性は、メシアの母になるという可能性があり、夢のような希望を抱いていたと聞きます。

でも、突然、「メシアを宿した」と告げられたなら、ユダヤ社会の批判が巻き起こるという恐怖の中に置かれるのですから、それに耐えられる人はどれほどいるでしょうか?婚外妊娠は、姦通を疑われ、石打ちになってもおかしくない社会状況でした。

マリアの許嫁だったヨセフは、天使から「主によって妊ったマリアを受け入れなさい」と迫られました。ヨセフは、世間よりも天を見上げて、信仰を持ってマリアと共に、メシアであるイエスを受け入れ育てる決心をしたのです。王家の結婚、妊娠、出産にはVIP待遇が伴いますが、マリアとヨセフには、【主】に対する信仰しかありませんでした。

ユダヤ社会の人々の感覚は、「主によって妊った」ということに懐疑的な反応を示したことでしょうね。これは、今の時代でも、「メシアの処女降誕」は、信じられない大きな一つのテーマになっています。

しかし、「メシアであるイエス」は、【主】に創造された最初の人「アダム」のDNAを受け継がないことが最重要なのです。それを受け継げば、「唯一の義人として、全人類の罪を贖うことが不可能になります。」創造主である神【主】は、筋道を通して、超自然的に「全人類の解放」を実行した第一歩が「クリスマス」と言うわけです。

ですから、世界中の多くが意味がわからなくても、お祝いしたくなる「めでたい」イベントなのです。

約2000年前の夜、場所はイスラエルのベツレヘム、羊飼いに、天からの合唱団が「メシアであるイエス・キリストの誕生を知らせに来た」シーンは、クリスマス会で取り上げられます。讃美歌「天なる神には御栄えあれ」と讃美されます。

クリスマス劇で、小さな子は「羊の役」になりますね。ちょうど赤ちゃんがいれば、「イエス役」そのお母さんは「マリア役」などと配役が決まります。

「この民全体に与えられる、大きな喜び」を知らされた羊飼いたちは、そのメッセージを聞いて信じ、「布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりご」を探す行動に出ました。そして、聞いたとおりだったので、マリアとヨセフに事の次第を告げ証言しました。そして、「神をあがめ、賛美しながら」持ち場に帰ったのです。

「マリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」と記されている、このマリアの心境は、「おめでた」を告げられたあの日の驚きと、イエスの誕生という事実と、羊飼いが聞いた天の軍勢の大合唱が合わさって、【主】のワザを確信したと言うところでしょうか?

人生には、恐れと驚きがあります。大きな喜びでも、思いがけず知らされれば、ビックリしますからね。

「あなたがたのために救い主がお生まれになりました。」と聞いて、どのように感じますか? 当時のユダヤは、ローマ帝国の属国でしたから、奴隷状態であり、とうの昔に出エジプトしたのに、そこに、舞い戻ったような状況の中に、人々は置かれていたのです。

これは、2022年の現代でも、何かの奴隷状態に置かれている人が多いのとあまり変わりがありません。人間が変化を嫌い、慣れた所に留まってしまうと言うことを表しているようにも感じます。

「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

天使と天の軍勢の大合唱は、本当の平和が訪れることを予告しています。栄光は、創造主である神【主】に、地には平和があるように、ですね。

「みこころにかなう人」は、クリスマスの真意を理解して、【主】と争うことを辞めて和解し、【主】が備えられた「プレゼント(福音の三要素)」を信仰で受け取ることによってのみ達成されます。

聖書には、永遠から永遠まで、創造主である神【主】の啓示がなされています。これを、どのように受け取り、取り扱うかによって、自分の人生や将来、さらには、永遠までも選択することになります。

平和が、一人一人の中に実現されますように、今日もわたしが平和で過ごせますように (祈)

一人一人のクリスマスをお祝いしたいですね。

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Posted by dblacks